【長宗我部の庭】日本の城めぐり(40) 福岡県・小倉城
長宗我部の庭】日本の城めぐり (49)   茨城県・下館城
2016.8.29

水谷勝氏が築く

勝俊が3万1千石で立藩

長宗我部友親

 

 

 下館は藤原秀郷が平将門を追討するために築いた三館(上館、中舘、下館)の一つといわれ、要害の地である。
 上館にはかつて久下田城があって、関八州にその名をとどろかせた水谷正村(幡竜齋)が築城した。中館は現在の伊佐城跡のあたりにあたる。

 下館城は、水谷伊勢守勝氏(みずのや・いせのかみ・かつうじ)が、文明10年(1487年)に築城を始めて、孫の勝之の代になって完成したといわれる。
  水谷氏は、藤原秀郷の一族で、その七代裔孫の勝俊が天正18年(1590年)秀吉の小田原攻めに加わり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでも活躍したことによって下館3万1千石を徳川家康によって安堵された。

  徳川時代には、寛永16年(1639年)に水谷勝隆が備中国成羽藩に転封となり、下館城には松平頼重が入る。そして、松平家の重隆が再転封した後は一時天領となった。
 しかし、その後、黒田直邦などの支配を経て、石川総茂が2万国で下館に入封し、石川氏が9代にわたって下館を治める。
 明治維新を迎えて、下館は廃城となった。
 また、下館市は2005年に明野町などと合併して、現在は筑西市となっている。

 下館城の周辺は、現在筑西市立下館小学校や住宅などが建って、下館城の遺構をはっきりとはとどめてはいない。本丸があったところには八幡神社が残っていて、城跡についての説明板が置かれている。下館城跡としては、堀の一部が認識できる。
 下館城は、別名法螺貝城とも呼ばれた。


 

イラスト 長宗我部 友親  (ちょうそがべ・ともちか)
親房系長宗我部家の十七代。通信社の記者を経て、現在株式会社企画の庭の代表取締役。著書に『なごやの忘れもん』、『街かど経済入門』などがある。
 

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