ブックレビュー
 ブックレビュー
  「日米同盟はいかに作られたか
      ―「安保体制」の転換点1951―1964 」
  
  吉次 公介著  

    講談社選書メチェー1500円・税別 




日本もかっては独自の外交構想を持っていた

 昨年は1951年に吉田茂内閣が、日米安保条約に調印してから60年目に当たったが、政局の混乱や大災害、普天間基地問題などが重なって、安保条約や日米地位協定に関する議論はなされず仕舞いだった。しかし普天間基地の問題は、引き続いて野田政権の外交力が問われるテーマである。
 著者は、その後に公開された内外の膨大な資料を渉猟しつつ、安保条約に対する歴代政権の安保政策の歴史をたどり、「60年安保」のあとに登場した池田勇人政権こそ画期となったと分析。池田政権といえば「所得倍増論」など積極経済が知られるが、外交面でも「米国の要求に唯々諾々と、ただひたすら聴従」するのではなく、「独自の外交構想も持ち、能動的に外交を推し進めた」と指摘する。
 その例として、@軍事的な手段を軸とした米国の中国封じ込め政策への批判 A東南アジアにおける「反米ビルマ」への大胆な関与 Bインドネシアを加えたアジアの5カ国首脳会談構想など、成果はともかくとして当時の政府や外務省は「外交構想力を持っていた」と評価する。
 それに引き換え、ウイキリークスの暴露などでは、近年の「日本の外交力不在」が天下に明らかにされたが、日本と同じ米軍の駐留を抱えるドイツでは、粘り強い努力の末、駐留の地域、使用目的、期間の提出を義務づけ、駐留軍が起こした事件の裁判権もドイツにあることを認めさせている。日本外交の不在が何をきっかけにいつごろからはじまったのか、次の研究で明らかにして欲しいところだ。

(ジャーナリスト 栗原猛)


  2012年1月10日(火)

栗原 猛(くりはら・たけし)
北朝鮮生まれ。終戦時、清津から3カ月間、徒歩で板門店へ。通信社記者を経て、マスコミ志望の学生と活動中。著書は「改革はなぜ進まないか」、編著に「私の後藤田正晴」など。
過去の記事へ

 


トップページ会社紹介著作権についてお問い合せ
Copyright (c) Flying Garden Rights Reserved.