国際時評
 国際時評


  もっと冷静な対応を
  武寧王陵と北朝鮮のミサイル


                          栗原 猛


 日本に仏教や千字文を伝えくれた韓国の扶余市(百済)、安東市の陶山書院(16世紀につくられた韓国儒教の祖・李退渓の学校)、公州市の武寧王陵、国立博物館などを駆け足で回った。安東市郊外にある陶山書院には零度の寒さなのに若い母親が子供を連れて朝早くから見学に来ている。全国に12の国立博物館があり、小、中学校は必ず見学に行くから、春と夏休み期間中は一般も無料だ。
     
 韓国も景気が悪く、大学生の就職は大変らしい。李明博大統領の支持率も20%前後と低迷している。移動はバスと地下鉄を利用した。驚いたのは韓国の若者たちが地下鉄やバスなどで年配の人を見かけると、すっと立って席を譲ることである。こうした光景はバスでも地下鉄でも見られた。
     
 だが途中で、直線の新しいバイパス道路(といっても舗装はしていない)が忽然と出現する。これは中国が出資する銅鉱山の開発企業が建設中の道だそうだ。川にも新しい橋が建設途中だったが、通行止めの標識がないため、夜中に知らずに走ったら転落は間違いない。世界各地で天然資源を求める中国のパワーを見せつけられた。

 ソウル市の住宅街で、階段をお年寄りと5,6歳の子供が上っていく姿を何気なしに見ていると、途中から子供は急に早足で上りはじめた。上り詰めると、後ろを振り返ってお年寄りに手をのばしている。孫とおじいさんかなと見ていたら、2人とも笑いながら手を振って左右に分かれて行った。
     
 公州市の武寧王陵は、30年前に奇跡的に盗掘されずに発見され、金の王冠や首飾りなどの遺品は、世界中の歴史学会をあっと言わせた。案内してくれたのは、日本語が堪能な70代の李寛さんで、百済時代の貴人を思わせるような女性だ。「武寧王は佐賀県で生まれています。だから韓国と日本は浅からぬ関係にありますね」

 660年に百済は、唐と新羅の連合軍に挟撃され、女帝の斉明天皇は救援を送ったが、白村江で激戦の末、大敗。百済は亡び、貴族をはじめ数千人が日本に亡命する。李さんは「連合軍に反撃のため天皇が救援軍を送ったのは、百済王朝と斉明女帝は親族以上の関係にあったからではありませんか」。李さんは寒風が吹く中、玄関の外まで見送ってくれた。
     
 ソウルから帰ると、北朝鮮のミサイル発射問題で、日本のメディアは大変な騒ぎになっている。韓国の新聞もテレビも扱いは地味で落ち着いていた。知り合いの外国特派員に聞いてみると、「北は国際社会から関心を持ってもらおうと懸命になっているのだから、日本のメディアは少し騒ぎすぎではないか。かえって北の思惑にはまっている感じだ」と語った。東南アジアからの特派員は「北は高句麗時代に隋や唐、モンゴルなどに10回以上も侵略され撃退した歴史を持っている。日本は軍事的な脅威にもっと冷静に対応することが大事ではないか」と言った。
    


   2009年04月06日(日)

栗原 猛(くりはら・たけし)
北朝鮮生まれ。終戦時、清津から3カ月間、徒歩で板門店へ。通信社記者を経て、マスコミ志望の学生と活動中。著書は「改革はなぜ進まないか」、編著に「私の後藤田正晴」など。


特集「中朝国境から北朝鮮を見る」
  中朝の微妙な関係

                          中島 宏


 昨年病に倒れたといわれる北朝鮮の金正日総書記が先月23日、訪朝した中国共産党の王家瑞対外連絡部長と会見した。病気説が出てから初めての外国人会見が中国の要人ということで、中朝関係の緊密さを見せつけた。会見の写真も公表され、金総書記は表情も乏しく、やつれた感じながら、一定の活動は可能と対外的に宣伝しているようだ。
 とはいえ、現実には当面の中朝関係は相当に微妙な状態にあるのも事実なようだ。
 筆者は昨年夏,中朝国境を中国側から見る旅をした。経済が拡大する中国と貧しい北朝鮮の格差を改めて思い知らされる旅だった。
 緑がそれなりに保存される中国側に比べ、高地の樹木を伐採し、その後にパッチワークのように畑が張り付いた北朝鮮の山々は、冬期の今ごろは畑作の緑が消え、すっかり禿山になっていることだろう。国境各地で見る「北」の工場の煙突に煙が出ているものが1つもなく、また脱北に対する警戒が厳しいためか、国境地帯に人影がほとんど見えなかった。鴨緑江が黄海に注ぐ河口に位置する中国側の丹東と北朝鮮側の新義州を見れば、両国経済力の違いが一目瞭然だ。

■ 北の激変に備える中国

 こうした見聞や現地専門家の話を通じ、中国側が、将来の朝鮮半島の統一、あるいは何らかの北朝鮮の激変に備えていることがよく理解できた。
 中国はまず、北朝鮮に対する幾つかの経済協力で鉱山や港湾の埠頭などを租借することで、北朝鮮経済の要所を長期にわたり抑える政策を進めている。また「東北工程」として知られる,朝鮮半島の歴史研究により、将来、朝鮮側から、高句麗など現在の中朝にまたがる王朝の歴史を理由に、何らかの領土要求が出るのに備えている。さらに武装警察の担当だった国境地帯の防衛を、5年ほど前から人民解放軍が引き受け、軍事的な備えをしているのは注目すべきだ。朝鮮族の聖地、長白山の観光事業も吉林省当局が握り、国内の朝鮮族や韓国などの企業が介入できないようにしている。

■ 中国の経済力を警戒

 こうした中国側の対応に対し、北朝鮮側に目立つのは、中国からの経済援助を受けながらも、中国の経済力が国内に一挙に流れ込むのを防ぐ政策を取りつつあるように見えること。国境地帯の道路建設に関する中国の提案を受け入れない半面、ロシアとの鉄道の改善工事を始めるなどの姿勢も目立つ。中朝間の物流の8割を引き受ける丹東、新義州の間の鉄橋では間に合わないので、中国側がもう1本の橋を別に作ろうとしても、「北」側がなかなか素直に応じないという。
 北朝鮮市場では、既に商品の80%が中国製品といわれる。北朝鮮側は、このまま中国側の言い分に乗れば、その強い経済力で完全に抑えられてしまうことを懸念しているようだ。そのため、対外開放もロシアや米国、将来は日本などをも引き込み、各国の関係を操作し、自国に有利な環境を作り出そうとしているのではと思われる。
 中朝の微妙な関係は、オバマ政権成立後の6カ国会議や米朝関係に、これまで以上に強く反映されてくることが考えられる。

   2009年01月31日(土)

中島 宏(なかじま・ひろし)
元共同通信記者。香港。北京駐在記者を務める。現在は日本記者クラブ会員。


  カンボジアは今
  進まぬインフラ整備、汚職横行

                         保田 龍夫


 1973年に内戦のカンボジアの真実を求め、クメール・ルージュ(ポル・ポト派)の支配地域に潜入し、同派根拠地で翌年に死亡した石山幸基・共同通信プノンペン支局長(享年31歳)の足跡をたどり昨年、遺族とともに現地を訪れた。
 石山氏が埋葬されたと言われるのは、コンポンスプー州のプノム・クチョールという高山のふもと。首都プノンペン北西約130キロの地点だが、たどり着くのは至難の業だ。朝8時半に出発し、クチョールの頂を望めるスレキン村に到達したのは午後の3時を回っていた。

 
■ 銅鉱山開発の"中国道路"

 この旅では村の仏教寺院で慰霊式を営んで引き返したが、その後、埋葬地の詳しい情報が入り、今年1月に陽子夫人や長男健吉さん(NHK社会部記者)らがついに墓地を訪れた。雇ったオートバイに乗り換えて後部座席にしがみつき、小川や田んぼを突き抜け、最後は徒歩で旧根拠地の一角にある墓地にたどり着いた。36年ぶりの"再会"だった。
 130キロの旅にこれだけ難渋したのは、幹線道路から一歩外れると猛烈な凸凹道になるためだ。戦火が収まった後も、一部の都市を除きインフラ整備がほとんど進んでいないことを実感する。 だが途中で、直線の新しいバイパス道路(といっても舗装はしていない)が忽然と出現する。これは中国が出資する銅鉱山の開発企業が建設中の道だそうだ。川にも新しい橋が建設途中だったが、通行止めの標識がないため、夜中に知らずに走ったら転落は間違いない。世界各地で天然資源を求める中国のパワーを見せつけられた。

■ 小学校に首相名

 異様に思ったのは、真新しい小学校数校に「フン・セン第○○小学校」と首相の名前が冠せられていること。カンボジアではまだ義務教育が実施されておらず、政権側が総選挙対策で"恩恵"として地元にプレゼントしたそうだ。同行したプノンペン支局のカンボジア人スタッフは「わが国には贈賄を禁止する法律はありません。高位の職を得るために要人に贈り物するのは日常茶飯事です」と嘆いていた。
 天国の石山幸基記者は、このカンボジアの現状をどう眺めているだろうか。


   2009年01月18日(日)

保田 龍夫(やすだ・たつお)
1943年9月、東京生まれ。東京大学卒。共同通信社に入社し社会部、外信部、テヘラン支局、ワシントン支局など勤務。退職後、渋谷教育学園渋谷高校で講師。


 
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